今年で27になりました。
言語聴覚士(以下ST)という資格を取得するために4月から専門学校へ通っています。
結論から申し上げると、これから広げる風呂敷は「勉強をして資格を取るためにSNS(twitter)と同人活動を辞めた」という、それ以上も以下もないものです。
多分、人並みに苦労されてきた方から見る程くだらない話だと思います。
それでも自分にとっては一つの大きな決断だったと思っています。
記事を投稿することにしたのは強いて言うなら懺悔のニュアンスが近いです。
27になるまで決断ができなかった自身の愚かしさを誰にともなく打ち明けたくて今回筆を執ることにしました。
長くなることを予めご承知おき下さい。
冗長感のある身の上話にはなりますが、お付き合い頂けましたら嬉しいです。
同人活動とtwitterが生き甲斐でした
厳密に申し上げるとteitterを始めたのは高校3年辺りから大体10年、同人活動は高校1年生の頃から大体12年くらい。
この約10年間、自分にとっての生きる楽しさのほぼ全ては同人活動とtwitterの中で完結していました。
まず同人誌を作るのが本当に本当に大好きでした。
コミケとかそういうイベントに参加して本を頒布するとかいうあれです。
どのくらい好きかというとこここの12年で作った本のタイトルが100冊を超えていたくらいには好きでした。
私の場合は二次創作の漫画本が主なんですが一次創作もしましたし小説本も合同本もアンソロジー主催も、本当にいろんなことをしてきました。
同人イベントや出店系のイベントにサークル側(売る側)として参加されたことがある方であればその中毒性の程が伝わるとは思うのですが、自分なんかは完全にジャンキーでした。
というのも、自分の作った原稿が印刷所から届いて本という形になって、それだけでも満足なのに更にイベントに参加すれば会場で自分の作った本をその場で手に取って貰えて、時として「いつも作品見てます、大好きです」「応援してます」と声をかけて貰える。
長い間活動を続けているものですから、熱のこもった感想を頂く機会もありましたし手紙や差し入れをくださる方も少なくありませんでした。
自分の作った創作に感情を向けて貰えることは何よりの生き甲斐でした。
頑張って作った原稿を本にして、イベントで頒布して、反応が嬉しくて、それをモチベーションにまた本を作る…創作意欲と自己顕示欲がどちらも十二分に満たされてしまうこのサイクルに私は年々のめり込んでいきました。
高校生の頃は限られていた資金が大学生、社会人になるにつれ増え、社会人になって以降は一人暮らしを始めたこともあってそのサイクルに更に拍車がかかりました。
ここ5年は年に10冊超の本を作り続けていましたし、関東でのイベント参加が主だったので遠征も年10近くしていました。
1年間の時間の大半は同人誌の執筆作業にあてていて、そりゃもう勉強なんて完全に二の次でした。
〆切前は徹夜もしますし学校へ行く時間や労働時間以外のほとんどを睡眠時間を削ってでも作業に費やしていたものです。
同人活動に追われていると人間的な生活が送れない、みたいな限界同人オタクあるあるみたいなのがあったりするんですけど私からしてみれば「人間的な生活を送れない言い訳にするため原稿をしている」ような節すらありました。
自己解釈をアウトプットして共感を得ることが人生で何よりの生き甲斐だと思っていました。
でも、そんな考え方がいつしか日々の生活を怠って妥協する免罪符にもなっていました。
最低限の仕事はこなせている、社会人としての務めは果たしている。
でも原稿中だから掃除ができなくて部屋が汚いのは仕方ないし、自炊を滅多にしないのも仕方ない。
そんなことより来月のイベントで新刊が出ない方がずっとつらい。
人生において、原稿にかける時間が何よりの優先事項で次点が最低限の生活を成り立たせるための労働、あとは基本やれなくても仕方のないこと。
気付けば自分の中ではそういう考え方ができていたのです。
SNSという気軽で手軽な現実逃避ツール
同人活動がその最たるところではあったのですが、根底として自己の思考をアウトプットすることそのものが生き甲斐でした。
そこで時として貰える「他者からの反応」というのは楽しさを助長させてより生き甲斐である実感を高めてくれる要素でした。
そんな自分にとってツイッターでのツイート行為もまたある種の依存行為だったと思います。
私はなんというか、物事を切り替えていくのが下手くそでした。
特に一つの思考に耽るのが楽しい性分だったこともあって、twitterでひとたび楽しそうな話題を見つけると、数時間でも半日でも延々とそのことについて考えてはツイートをして時間を浪費する日々でした。
共通の話題で盛り上がれるフォロワー達が居ると余計に。
自分以外の誰もその話題をしていなかったとしても一人でもいつまでも。
やらなければいけないものできればやりたくないことが目前に控えている程にその傾向は強かったように思います。
その時々の自信の思考のアウトプットが手軽にできて、且つ共感を得てくれる存在が数値としてすぐに見えるこのツールでは欲している感情が簡単に満たされてしまって…それが自分にとっては良くなかったです。
スマホやPCを手に取ればいつでも簡単に自己を発信できてしまうその手軽さが、現実逃避すらも容易にさせてしまっていたと思います。
適度に向き合えていればそれで済んだ話なのですが、私は苦しいことからはすぐ目を背けては楽しいことにのめりこんで、生き甲斐を毒にしてしまう人間でした。
自制ができない人間に程、「楽しい感情を与えてくれる要素」は現実から逃げる要素にもなり得ていると思います。
加えて、10年近くも毎日twitterを続けていればそれなりの付き合いのオタクもそこそこ居ました。
その一方で学生時代友達だった人達とはこの10年でそのほとんどと連絡は取らなくなっていて。
今となっては交友関係のほとんどがtwitter内で完結してしまっている状態でした。
創作活動という生き甲斐、自己顕示欲の発散と感情の共有、友達と過ごす時間の楽しさ。
そうやって自身にとってtwitterと同人活動は人生において欲している感情を与えてくれる要素のほぼ全てとして、日常の中に悪い習慣も込みで根付ききっていました。
同人活動とSNSを優先し続けて学生から大人になるということ
私はこの10年の間に高校を出て大学を卒業し社会人になりました。
…とだけ言うと一見真っ当な道を進んでそうな感じがするんでもう少し詳しく履歴をお話しします。
<高校の頃>
高校生の頃、将来したいことは特に何もありませんでした。
好きな漫画やアニメのグッズを買いに学校帰りにアニメイトに通って、同人誌を買って、作って、タイムラインでよるほーを迎えるまでふざけたツイートをしながら深夜アニメをリアタイするため夜更かしをしたり。
あとはやる気があるのかないのかまあまあ微妙な演劇部で程ほどに部活をしたあと駅前のマクドで駄弁ったり。
そんな毎日が楽しかったなあみたいな緩いオタク学生でした。
勉強に対する意欲は無くて、ただなまじ中学の頃までは一夜漬け程度の勉強をすれば試験ではそれなりの点数が取れていたこともあって、毎日コツコツ勉強をする習慣は付きませんでした。
身の丈より少し良い高校に行ったものですから、落ちこぼれこそしていなかったもの高校の成績は終始あまり良くなかったように思います。
それで目指したいものが無いわけですから高校3年生のときのふわふわ感たらなかったです。
ぶっちゃけ何かもう勉強とかしたくなかったんです。
学ぶことに対する意欲が恐ろしく低かったことが原因だったとは思うんですが、この頃から居眠りばかりしていました。
それでも最低限の体裁は整えていなければという意識はあったのです。
友達からノートを借りて板書を後から写したり、成績に関わる課題や小テストは取りこぼさないようにしたり。
やはりほぼほぼ一夜漬けでしたが試験前には勉強をして赤点にならない程度に試験はこなさなければという意識もありました。
この頃辺りの自分にとって勉強をする理由というのは「赤点を取らないことで、優良ではないが人並みの学生であると周囲から思われる為」とかそんなものだったのです。
やりたいこともやる気もなくとも周囲はほぼほぼ進学を選択する風潮だったのと、自分自身どこかしら進学した方が何や良い感じの職にありつけるとか激ふわふわしたイメージがあったからどこかには進学しようくらいに思ってました。
同人誌を作るのはその頃から好きでしたが、趣味は趣味だと思っていたので漫画やイラストやらの仕事は少し憧れこそはしたもの目指す為に頑張りたいとも思ってはいませんでした。
じゃあどうしようとなったとき、母親が看護師だったのです。
国家資格っていう手に職あると安定すると聞かされていたのでじゃあ私もそうしようくらいの体で看護の専門学校へ進学しました。
<専門、大学、社会人になってから>
看護の専門学校では、試験や実習はクリアしていたもの居眠りのしすぎ…授業態度の不誠実さを理由に2年目の冬、進級させられないと言われました。
高校の頃から授業は寝ていいものだとは思ってもいないのに、睡眠時間を十分に摂っている日もあるはずなのに繰り返してしまう居眠りがこの頃から少し異質なものに感じられていたのですが、専門学校の先生にも「少し普通ではない」と言われ、このときそれとなく心療内科を勧められました。
心療内科で言われたことは「まずは生活習慣見直してみたら」でした。
まあなんというか普通の人から見れば「少し普通じゃない」けど普通か異常かの観点で見れば私は「普通」の域だと臨床的にも証明された以上、やっぱり自分の意識の問題なんだなと。
居眠りに関して当時は手詰まりで、それでも進級させられないと言われた以上は私は進むか辞めるかを決めないといけませんでした。
結果私はそれなら、くらいの心底不誠実且つ軽率な理由で看護学校を中退し、翌年大学に行きました。
それが言語聴覚士の国家試験受験資格を取得できるという学部でした。
看護実習の間、見学する機会があった言語のリハビリに関心があったからです。
自分で何か1つの職種に関心を持ったのは初めてのことでした。
大学では知識を蓄積していく楽しさを感じることもありましたし、実習を通じて臨床の現場で人と接することや学ぶことにやり甲斐も感じました。
ただそれでも、この後に及んで自分の生活の中心はやはり同人活動にあったのです。
twitterではアニメで推しがメインの回で発狂し合い、そこからで次のイベントに参加するフォロワと新刊の話で盛り上がり、旬ジャンルで本を作ればこれまで以上に本を手にとって貰える嬉しさも相まって、そんな様々な相乗効果から大学4年時すら年間10冊の同人誌を作っていました。
関心のある専門分野の講義こそ真面目に受けられていたのですがやはり居眠りは多かったです。
それでも4年間、実習含めて単位を落とすことなく卒論もクリアしましたが国家試験には落ちました。
それから大学卒業後は両親の方針からどう転んでも一人暮らしをすることになっていたのです。
派遣で仕事をしながらでも国試の勉強は続けるという意向を伝えていましたが、勤務の傍ら同人作ってその上で勉強なんて捗るわけもなく、勉強の身の入らなさから翌年の国試を受けることはしませんでした。
いっそ諦めて正社員職を探すかといっても学歴が学歴なので間口は恐ろしく狭く、事務職を志していたはずが気付けば工場勤務をしていましたし、ここ数年の間1年の間に作る同人誌の冊数は15冊前後までになっていました。
この辺りで本当にようやく自分の半端さ故に人生が迷走していることを自覚したのです。
年明けにも27を迎えようとしている昨年、26の冬のことでした。
10年遅かった「迷い」と「決断」
目を背けて誤魔化し続けて、結果として寄りに寄り切ったしわ寄せと否応無く目を合わせなければいけなくなって、学ぶ為にあった10年という時間を無駄にしてきたことを心底後悔しました。
今頃になって後悔して、これから自分がすべきことを考えて、正直何を選択しても親に対して報いることはできないなと思いまず申し訳なくなりました。
後悔先に立たず。本当に取り返しのつかない時間が経ってしまいました。
そこから、せめてこの先の自分が後悔しない為に何をすべきかを考えました。
考えたとき、これまでの時間を「無駄だった」で終わらせない為にはやはり勉強をするべきだと思ったのです。
自分の場合、働きながら自習をして成果を残せなかった過去を思うと本当に勉強をしようと思うのであれば学校へ行くべきだとも思いました。
そもそもとして、高校の頃、自分は既に勉強をしたくなかったはずでした。
どうして勉強をしたくなかったのかというと学んだことが自分の中で実になるイメージができないことに対して時間を割いて取り込むということに煩わしさを感じていたからだったと思います。
学んだことが直接生きる進路を辿っても、関心のある分野に出会えても、当初の認識を切り替えきれなかったのがここ10年間の自分でした。
自分の中で勉強をする意味というのは「赤点を取らない最低ラインを超えないようにこなすこと」であって「成績さえ残せれば授業というのは最悪聞けていなくても大丈夫なものだ」という認識。
これを取り除けずにいたのが居眠りという意欲の無さを体現することに繋がっていたと思います。
今は勉強をしたくないのかというと、紆余曲折した中で自分はSTの分野に対する関心を持ってもいました。
そこに至るまでの所以こそ不誠実極まりなくとも、紆余曲折した末、自分の中にある当初は無かった「学ぶことに対する意欲」が多少でも生じていたこと。それも選択の理由の1つです。
他の選択を取るよりは微々たるものだとしても積み上げてきたものが全くの無意味にはならない…少しでも両親に報いることができるような気がしたのも1つ。
…後はまあもう数年で三十路というところまで差し掛かっている身としてはあまりにも将来性のない日々を送っていたこともありましたし、ともかくその他いろいろ踏まえても今踏み切らないともうどうにもならない気がした、という具合ではあるんですが。
少しでも報いる、とか言いましたが、学生の頃に勉強することができていて然るべきことを今頃したい、なんて全く褒められたことではないですし、結局は自分のエゴなわけですから心苦しさしかない選択でもありました。
…社会に出て数年、時間もお金も有限で貴重なものであったことを本当に今更痛感しました。
勉強する為にお金を出して与えてもらっていた時間を遣って、ろくに勉強もせず同人活動に費やしていたこと。
得られるものも本当に多くあったからこそ、それまでしていたこと全てを私自身は否定できないのですが、親のことを思うと心底くだらないことで時間を無駄にしていると思われて然るべきだとも思います。
実際今一度、腰を据えて勉強する為に学校へ行きたいのだと両親に伝えたときも父親からは「甘えている」と言われました。
本当に、本当にその通りだと思ったのです。
私が社会に出て数年働いても全く届かない何百万というお金を出してもらい2年で専門を中退し、4年間大学へ通ってそれでも試験には落ち、卒業しても得られたものは何もない状態で社会に出てのんべんだらりと数年を過ごした私に自力だけで学校へ通う為の資金はやはり無かったのですから。
結局私がした決断というのは此の期に及んで、またどこか親に頼ろうという気概が自分の中にはあったように思うので。
甘えていたのだと思います。
「生き甲斐のある人生であってこそだから」を免罪符に勉強も生活も働くことも、自分にとって少しでも煩わしさを伴うあらゆることをして怠ってきました。
そのくせ真っ当な人間であると取り繕いたかったのです。
取り繕うために最低限の結果を残す最低限の勉強をして「勉強を人並みに頑張っている自分」を両親や誰にともなく主張して、頑張ってもいないのにフリをしました。
そうしている間はいくらでも生き甲斐に没頭する自分でいられたから。
そこにあったのは嫌なことを避けて好きなことだけしていたい、なんて自分本位な甘えきった感情だけで、結果として私は何に対しても誰に対しても不誠実な生き方をしていました。
同人活動やツイッターに歯止めが効かないこともそうなのですが、勉強に対する認識を変えられなかったという点にしても、生きる上でのあらゆることに対して自分は意識や注意を切り替えることが苦手なのだと思います。
そんな自分に「程々すること」を謳うのは到底無理だったのです。
気軽に手に取れる生き甲斐が自分の傍にある限り、私はきっといつまでも何よりも同人活動やツイッターを優先し続けてしまうんだと思いました。
…決断するのが恐ろしくて、もっとどうにかできないか悩みたかったし、もうずっと迷っていたかったからこそこの今まで決断できなかったんだと思います。
たかだか1、2年。同人活動とtwitterは辞めるべきだと。
初めからその判断ができなかったのは自身にとってtwitterと同人活動が人生において欲している感情を与えてくれる要素のほぼ全てを占めていたからでした。
それでもやはり「程々」をできなかったからこそのこの10年間でした。
だからこそ専門学校へ行き勉強をするんだと決断した以上、辞めるしかないと思いました。
辞めるべきだと思っていても10年ずっとあった生き甲斐全部が一時でも無くなってしまうのだと思うとどうにも悲しくて耐え難くてならなかったです。
悩む余地なんてないはずなのに迷ってしまったのはそれも甘えのようなものだと思いました。
特に交友関係なんかはいくら仲良くしていたとしても関係形成の大半がtwitterがベースである以上、アカウントが無ければこれきりになってしまう、そうしたら自分はいよいよ友達が居なくなってしまうのではないかと思えたりもして未だに寂しくて仕方がないです。
こういうとき、それなりに重い悩みを打ち明けられるような友達が居ないのもまた、煩わしさを感じては交友関係を打ち切ってしまうような不誠実な生き方をしていたツケだったのかもしれません。
自分にとって苦でないことだけしていく為に不誠実な生き方をし続けたとき、この先の自分に何か残るものがあるのかとふと考えては何も残らないことが今更のように怖くなりました。
過ぎていった時間はもちろんですが、両親への信頼だとか、誠実な付き合いのできる友達だとか、もう取り返せないかもしれないものが沢山あります。
それでも、何もかも手遅れだと諦めるには何もしてこなかったですし半端な気持ちで居続けて「もう手遅れだろう」とか「どうにかすべきだった」なんて言う前に、私はまだどうにかなるものならどうにかしたいと思っています。
いろんな苦楽と今までとこれからとを天秤にかけて、今更ようやく自分の為に同人活動とtwitterを辞めました。
勉強をしようと思います。
残りに残った未練全部、引きずりながら前に進むことにした
もうじきtwitterのアカウントを消して大体2ヶ月くらいです。
未だに生き甲斐を続けて毎日だらだら楽しく過ごしていた日々に思いを馳せてはあの日に戻りたいし、ふとしたとき呟いてしまいたくなる瞬間が1日に何度もあります。
勉強をしていない時間の度に未練がましく生き甲斐に思いを馳せます。
それでも、一度断ち切ってしまえば生き甲斐が傍に無くても一応どうにか進めるものだなと。当たり前といえば当たり前のことだったのかもしれませんが。
ふとしたときふらっと戻れてしまえないように事情を説明した上で「同人活動とtwitterを辞めること」はフォロワーに説明しておいたおかげで軽率に立ち戻らずに済んでいます。
包み隠さず全部言って、それで1年後試験に落ちたら何かもういよいよどのツラ下げてインターネットの世界に戻るんだろうてくらいとにかく全部言い切って退路を断ちたかったという、捨て身気味の思惑でしたがうまく機能してくれてよかったです。
ここまでしないと戻ろうと思ってしまっていたのかもしれないと思うと何だかなあという気もしますが。
居眠りも今ではほとんど無くなりました。
当時結構深刻に悩んでたりしたものですが、本当にただの自分の意識の問題だったんだなあと思うとやっぱり何だかなあって感じです。
結局のところ、上澄みのあらすじだけ追えば「一念発起して国家資格の勉強に取り組む」なんて大層立派な名目を掲げている風ではありますが、本当に恥ずかしいことだなと思っています。
情けない話ついでなのですが結局、学費の大半は親に前借りする形になりましたし。
学費の件も、決断した決め手も、やはり私は今でも都合の悪いものから目を背けて擦り寄れるものに擦り寄って生きているふわふわ半端な人間のままで、その本質は厳密には変われていないと思うのです。
勉強の進め方、人との向き合い方、頑張れたとしてその先自分がしたいこと、生き甲斐との誠実な向き合い方。
方向を定めた今でもいろんなことで迷ってばかりいます。
ずるずるぐずぐずいろんなことを引きずって、未練を微塵も振り切れないで、それでも1つ決めた道程をようやく進み出すことができたところです。
この先を進み切れればいつの日かなれるかもしれない「後悔をしていない自分の姿」を少しだけ夢に見て。
まずはこれからの1年、出来る限り頑張っていこうと思います。